続モラトリアム期

日常の出来事など

一人暮らしを始めた

10月から一人暮らしを始めた。某疫病のせいで授業もバイトも家で完結するようになり、家で過ごす時間が増えた。家で過ごす時間が増えるとストレスもそれなりに溜まって一人の空間が欲しくなった。そろそろ実家を出ないといけないという使命感も一人暮らしを始めた理由だったと思う。
 
家賃は管理費込みで3万3千円と安く、風呂トイレは別。内装も綺麗め。内見に行った部屋が事故物件だった経験もあり、ようやく見つけたその物件は即決だった。実家からは近かったくて必要なものはその都度取りに来ればいいと考えていて、引っ越しは特になにもしなかった。不動産屋から鍵を受けとった後は電気と水道を通して、最低限の生活ができるようになった。ガスは通さなかった。実家から離れた場所ではなかったので風呂の時だけ帰ればいいと考えていた。
 
満足していた物件だったが入居時に気になったところが一つあった。インターホンになぜか知らない男が録画されているのだ。暗くてよく見えなかったが男に見えた。電気を通して自分が部屋を空けていた間に誰か来ていたようだった。アパートのオーナーの人かと思い、その時は特に問題視はしていなかった。ただ今考えるともう少し気に留めるべきだった。
 
こうして人生初の一人暮らしが始まったが、実際は一人暮らしと呼べるものではなかった。実家にすぐに帰れることができるため、昼は借りている部屋で過ごして、夜は実家に帰ってくる生活を送っていた。本当に最低限の生活ができる環境しか整えなかったので、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機が部屋になく、出来ないことがあまりにも多くて実家への寄生を続けていた。もちろん寝具も買っていなかったから実家のベッドで寝ていた。後に寝袋を試してみるも、朝起きたときには体がバキバキになった。先述したようにガスを通してなくて風呂にも入れなかった。実家で風呂に入ってから部屋に戻る気力はあるわけがなく、当初思い描いていた生活はできていなかった。
 

 

借りた部屋ではオンライン授業を受けたり、バイトをしていたが、夕方になると隣から怒鳴り声が聞こえてくる。隣には中高年の男女2人が住んでいて、女性のほうが声を荒らげているようだった。安アパートの壁からほぼそのままの音量で聞こえてくる。怒鳴り声に気づいてからはバイトや授業が終わったら即実家に戻るようになった。部屋を借りた後も実家に帰っていたのは騒音問題から逃れるためというのが一番大きい。
 
騒音だけでなく知らない人がうちに訪ねてくる問題も続いていた。土日に訪ねてきているようだったが、土日は部屋に行くことがなかったので鉢合わせることはなかった。インターホンに録画された男について管理会社は何も把握してないとのことだった。その人はオーナーでもないらしい。では隣に住んでいる男ではないのか。いや顔が微妙に違う気がする。もう一人の女に微妙に似ている気がするけど写っているのは男だ。それに訪ねてくる理由が全く思い浮かばない。考えても全然分からなくて、その時は空き巣が留守のときを探っているかもしてないという結論に至った。ただ実害を受けているわけではないので警察には相談しなかった。
 
騒音問題、見知らぬ来訪者、加えてわざわざ通うことに煩わしさを感じ、11月には週2回しか行かないようになった。特に夜は行かないようにしていたが、実家での居づらさから逃れるために20時過ぎに来たことがあった。その日は土曜で、インターホンにはいつものように知らない人が録画されていた。そして隣からはいつものように怒鳴り声が聞こえてくる。
 
実家から離れるために部屋を借りているのに、逃げた先のほうが居心地が悪い。この状況に納得できない。この日だけは許せなくて隣の部屋とは反対側の壁(角部屋なので誰もいない方向)を2回叩いた。それで一瞬収まったと思いきや、またすぐに再開してしまいその日は実家に帰ることにした。泣き寝入りしたくなくて管理会社に騒音のことを問い合わせたが、隣人に連絡がつかないとのことだった。
 
次の週は平日に1回来たがその日は何事もなかった。その次が日曜日。返却期限の迫っていたポケットwifiを取りに来た。ドアを空けると床にメモが散乱していた。すぐに隣の人が投函したのは分かった。メモには「お金を返しますから騒ぎを大きくしないでください」「それとも示談にしますか」などと書かれてあった。示談という単語が飛び出してくる話ではないし、お金を返すというのはさらに解らない。それにメモ帳の切れっ端を4回に分けて投函してくるのも怖い。この状況で隣の人に会うのはまずい。息を殺してポケットwifiを取ったあとはすぐに逃げた。
 
実は一人暮らしをするまでにも親と一悶着があってその末にようやく手に入れた部屋だった。でもあの部屋にこれ以上関わりたくないのが正直なところだった。今までの苦労もこの災禍に比べると小さなものだ。アパートからそこそこ距離のあるミスドに駆け込む。なんとか落ち着ける場所まで来ることができた。ここまで来れば追いつけまい。なることは一つしかなかった。席に着いてパソコンを開く。見慣れた管理会社のホームページから手続きを進める。違約金があるなどと赤字で脅してくるけどもう遅い。面倒なこととは早くおさらばしたい。自分でもいくらなんでも早すぎる思う。だからこうしてブログのネタにしている。
 
入居から一ヶ月半、退去することが決まった。
 
2日後。部屋の荷物の運び出しを運転できる友達に手伝ってもらった。一人だと実家と部屋を何度も往復しなければならないし、あの部屋に一人で行く勇気はなかった。会ったら危害を加えてくるのではないか。正直部屋に行くのも憂鬱だったが仕方ない。気づかれないように静かに、早急に終えようと意気込んで部屋に入った。
 
が、無情にも入ってすぐにインターホンが鳴る。居留守でやり過ごそうとするがまた鳴ったので諦めて、インターホンに向かう。モニターにはこの部屋で何回も見てきたあの男の顔があった。その時、今までの勘違いに気づく。部屋に訪ねきていたのは隣のおばさんだったのだ。騒音と謎の来訪者問題は関係ない話だと思っていたが、どちらも隣の部屋に繋がっていた。インターホンの顔に驚きながらも応答すると小林さんはいないかと聞いてくる。これから部屋を空にするという時に今まで姿も形も見えていなかった人物が登場してきた。小林という名前は聞いたことがない。そもそも騒音の話をしにきたのではないのか。でも小林さんの存在が今までのこと全てに説明がつくことにもぼんやりと気づいた。とりあえずいないと答えて隣の人を返した。
 
恐らく小林さんは前にこの部屋に住んでいた人で、何も言わずに越したために隣人はそのことをまだ知らないのだろう。前に投函してきた「お金を返します」「それとも示談にしますか」のメモを見るに、お金の貸し借りがあって、小林さんにお金を返しに部屋を訪れていたのだと思う。さらにお金を借りに来ていたとも考えられる。土日に限ってきていたのも休みの日なら部屋にいると考えたから。
 
小林さん:前にこの部屋に住んでいた。隣人にお金を貸していた。何も言わずに部屋を退去した。
 
隣人:インターホンに写っていた人。小林さんからお金を借りていた。引っ越したのは知らない。メモを投函したのは、壁ドンを返済の催促だと認識したから。
 
自分:休みの日に知らない男が部屋を空けている間に来ている。しかも隣からは怒鳴り声が聞こえてくる。ついに耐えられなくて壁ドン。メモが投函されたのは、壁ドンで逆鱗に触れたからだと思っていた。
 
恐らくこれがあの部屋で起きていたことの全部である。最後の最後でようやくこのすれ違いに気付けた。さらに補足すると最近は引っ越しの挨拶をしなかったことも分岐点だったと思う。するものだとは思っていたが、不動産屋曰く最近は防犯の関係でしないとのことだったのでその通りにした。隣の人は自分のことを小林さんの知り合いか何かだと思っていたのだろう。既にいないはずの人間を訪ねてきたわけで少しは同情しそうになるが、騒音のせいで出ていくことになり、僅か2ヶ月で初期費用と退去金を払うことになったのを思い出すとやっぱり許せない。だから小林さんが既にいないことを教える気も湧かなかった。
 
全く物を買っていなかったおかげで片付けはすぐに終わった。月末の退去の立ち会いも何事もなく終わって、あの部屋との関わりは無くなった。この2ヶ月で実家という安全網に守られていたことと、家賃はケチってはいけないことを思い知らされた。今度はコンクリで囲まれた完全防音の部屋に住みたい。それまではまた実家に寄生し続けようと思う。